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日本のゴルファーで、初めて「世界の」と言う定冠詞で呼ばれるようになったプロである。そのきっかけは、帝王ジャック・ニクラウスが「アオキの小技は素晴らしい。100ヤード以内からのショットだったら、間違いなく世界一だ」と、プレスインタビューで語ったからだ。 それは1980年の全米オープンでのこと。ニュージャージー州バルタスロールで行われた80回目の全米オープンで、青木は4日間ともにニクラウスとペアを組んだ。そして、この2人が最後まで一歩も引かずに優勝を争い、両者が全米オープンのトーナメントレコードを樹立するという歴史的な死闘を演じたのだ。 翌年からアメリカPGAツアーのプロとして、アメリカツアーに参戦。3年後のハワイアン・オープンで実を結ぶ。それも72ホール目の「逆転イーグル」という派手な勝ち方で・・・。 カップまで残り128ヤードの3打目を左ラフからピッチングウエッジでカップイン。後にニクラウスは「やはり私の言ったことは正しかったろう?」と。得意げに語ったものだ。 独特のパッティングスタイルと、気取らずに誰彼なく友達になってしまうあけっぴろげなキャラクターで、アメリカを始め世界に多くのファンを持つ青木は、ヨーロッパ、アメリカ、それにオーストラリア(もちろん日本も)でも優勝。「世界の4大ツアーですべて優勝する」と言う、ニクラウスでもできない記録も作ってしまった。 まだまだ第一戦で、グローバルプレーヤーとしての豊富な経験を生かすべく、近年はジュニアゴルファーの育成やゴルフコースの設計・監修にも力を入れている。 「1打の価値がはっきりとスコアにあらわれるコースが本当のゴルフ場。結果オーライは極力廃して、何度でも挑戦意欲の沸くコースを造る」という青木のコンセプトは日本のゴルフ界に一石を投じた。日本国内のみならず、中国、タイ、そして本場アメリカからも設計依頼がくるほど高い評価を得ている。 また、近年ではかなり盛んに行われているジュニアゴルファーの育成であるが、青木はその先駆け的存在、第一人者として周知されるところである。1997年6月に「青木功ジュニアクラブ」を設立。常時200人前後のジュニア会員を擁し、ジュニアキャンプやワンポイントレッスン会など日本と海外を往復する生活の中、少ない日本滞在期間中の時間をやりくりして精力的に日本中を飛び回り指導にあたっている。 ジュニア育成といえども、プロ・競技志向、スコア重視の流れの中で、ゴルフの楽しさを知ること、挨拶やルール&マナーの遵守に重きを置く指導方針はとかく目を引き、青木ならではと言っても過言ではないであろう。 そして2004年、これまでの国内外での活躍が認められ、世界ゴルフ殿堂入りを果たす。 |
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